「歩はまだ十七です。今ならまだ引き返せる。この四月には高三にもなって、受験もあります。M大以外の大学を受けたいとも言っている事ですし、そういう事に時間を割いてもいられません。そうしているうちにきっと」
――きっと。俺の事は忘れるだろう、と。
慎治は黙って目の前の男を見た。正確な年齢は知らないが、恐らく慎治と同世代。既婚者で、ノンケ。歩の気持ちに気付かないまま、歩に優しくしてきたんだろう。普通の道を普通に生きてきた人間の考え方。これが現実だと、改めて思い知る。
もし今、慎治が歩に別れを告げたとしたら。時が経てば歩は慎治を忘れるかもしれない。けれども、歩がその次愛する相手に出会った時、その相手も多分きっと同性だろう。野田に説明しても理解らないだろうが、これもまた現実だという事を、慎治は知っている。
――受験。
歩の生活の主軸を妨げることは慎治の意図するところではなかった。歩には早目に帰宅するよう気にかけては来たが、家族の者に出張られる程だったとは。あるいはこれは単に歩と別れさせるための建前か。
――歩のために俺が取るべき一番良い選択は。
やっぱ別れ、か。
慎治との付き合いを、歩が一番知られたくないであろう相手に知られるに至らしめた罪は重い。せめて歩が高校を卒業するまで、あるいは歩が歩の意思で兄に話す事ができるようになるまで、十も年上の大人として、もっと取るべき態度はあったはずだ。
『大人の責任』
その言葉が、慎治に重くのしかかる。
――覚悟決めてたんだろ、俺。
震えそうになる身体。ゆっくり深呼吸をして、拳を握り直した。
「分かりました。弟さんにはもう会わないと、伝えます」
真っ直ぐ野田を見詰めて、はっきりと、答えた。野田が拍子抜けしたように瞬きし、表情を緩める。
「では、それで」
「一つだけ」
ほっとしたのか、小さく溜息を吐く野田に、慎治は言葉を重ねた。
「……何ですか」
「歩が、この事について自ら口を開いた時には、必ずその言葉をちゃんと受け止めてやって下さい」
――歩自ら話す時はきっと、歩が考えて出した結論を告白する時だから。どうか、オニーサン、歩にとって何よりも大切な存在に、歩が否定されないように――。
「言われるまでもありません」
コーヒー代のつもりだろう、テーブルに千円札を置いて野田が立ち上がった。慎治に対抗するような目で、慎治を見下ろした。
「歩の事は、俺の方がよく分かってます。……あなたなんかより」
それでは、と形ばかりの会釈を残して、野田は踵を返した。
やっとコーヒーを運んできたウェイターが、困惑したように去ってゆく野田と慎治を交互に見た。慎治は俺の分だけもらいます、と苦笑してコーヒーを一客、受け取った。
――兄弟揃ってとんでもねぇブラコンっぷりだな。
「ホントに分かってんのかね、ニーサンよ」
さして苦くもないコーヒーを啜って、慎治は苦々しく笑った。
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もし今、慎治が歩に別れを告げたとしたら。時が経てば歩は慎治を忘れるかもしれない。けれども、歩がその次愛する相手に出会った時、その相手も多分きっと同性だろう。野田に説明しても理解らないだろうが、これもまた現実だという事を、慎治は知っている。
――受験。
歩の生活の主軸を妨げることは慎治の意図するところではなかった。歩には早目に帰宅するよう気にかけては来たが、家族の者に出張られる程だったとは。あるいはこれは単に歩と別れさせるための建前か。
――歩のために俺が取るべき一番良い選択は。
やっぱ別れ、か。
慎治との付き合いを、歩が一番知られたくないであろう相手に知られるに至らしめた罪は重い。せめて歩が高校を卒業するまで、あるいは歩が歩の意思で兄に話す事ができるようになるまで、十も年上の大人として、もっと取るべき態度はあったはずだ。
『大人の責任』
その言葉が、慎治に重くのしかかる。
――覚悟決めてたんだろ、俺。
震えそうになる身体。ゆっくり深呼吸をして、拳を握り直した。
「分かりました。弟さんにはもう会わないと、伝えます」
真っ直ぐ野田を見詰めて、はっきりと、答えた。野田が拍子抜けしたように瞬きし、表情を緩める。
「では、それで」
「一つだけ」
ほっとしたのか、小さく溜息を吐く野田に、慎治は言葉を重ねた。
「……何ですか」
「歩が、この事について自ら口を開いた時には、必ずその言葉をちゃんと受け止めてやって下さい」
――歩自ら話す時はきっと、歩が考えて出した結論を告白する時だから。どうか、オニーサン、歩にとって何よりも大切な存在に、歩が否定されないように――。
「言われるまでもありません」
コーヒー代のつもりだろう、テーブルに千円札を置いて野田が立ち上がった。慎治に対抗するような目で、慎治を見下ろした。
「歩の事は、俺の方がよく分かってます。……あなたなんかより」
それでは、と形ばかりの会釈を残して、野田は踵を返した。
やっとコーヒーを運んできたウェイターが、困惑したように去ってゆく野田と慎治を交互に見た。慎治は俺の分だけもらいます、と苦笑してコーヒーを一客、受け取った。
――兄弟揃ってとんでもねぇブラコンっぷりだな。
「ホントに分かってんのかね、ニーサンよ」
さして苦くもないコーヒーを啜って、慎治は苦々しく笑った。
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